
宝くじが当たる日を夢見て、せっせと購入している人達がいる。
貪欲に何かを求めている男女も昔と変わらずいるけれども、私は、貧しい場合は少なくとも、「他者に何かを与えてもらう」より、「他者に何かを与える」方が何百倍も大事だと思っている。
あなたが「与えるより、与えてもらう方が好き!」と考えている場合、「信じられない」と思うかもしれない。
もし「聖人?」とか「利他的な人」とか言われたなら、「違う」と即答したくなる。
目次
「与えてもらう」より、「与える」方が幸福感を得やすい
相手に何かを与えてもらうには多大な時間と高度な技を差し出す必要があったり、お世辞を言わなければならなかったりする。つまり大変な手間ヒマをかけなければならない。
でもそのくせ何かを与えてもらったところで幸福感を得られないときがある。
ガッカリさせられるときもあれば、相手に苛立ちを感じるときもある。
それに時間と技術を差し出しても、「給料を払ってるんだから、このくらい」と思われるときだってある。面倒事を本人に代わってやってあげたのに、ロクに感謝されない。なんてときは実は結構ある。
一方、他者に何かを与えた場合は感謝されやすく、おまけにわずかのお金と余暇を差し出すだけで、できてしまう。
たとえば甘い物が好きな人には甘い物を差し出すと喜ばれるわけで、この場合、甘い物を買って渡すだけで良い。
しかも何度も与えた場合、相手と良い関係を築けたり、身の回りがスッキリして幸運に恵まれたりする。
このためあんまり手間暇をかけずに良い生活を得られるときがある1。
「他者に何かを与え続ける」行為のメリット
実は「他者に何かを与える」行為には簡単に実行できる、幸福感を得やすい、感謝されやすい、といったメリットがある。
「他者に何かを与えてもらう」行為は逆。
それに「他者に何かを与え続ける」行為には、「周囲の人に好かれやすい」とのメリットがあり、「他者に何かを与えてもらい続ける」行為には「周りの人に嫌われやすい」とのデメリットがある。
あなたも「ちょうだい」「くれ」と言ってばかり人や、自分はロクに何も差し出そうとしない、出し惜しみ大好き人間は好きになれないのでは?───他の人達もそうなのだ。
だから時間にもお金にも余裕がない人間にとっては「他者に何かをもらう」より「他者に何かを与える」方が、ずっと大事だと思えてしまう。
私は聖人でも利他的な人間でもない。
子供の頃から人一倍、身勝手な人間だけれども、与える行為を観察したり、周囲の人達を眺めたりしているうちに、そう思えるようになり、そう思えるからこそ、他者にはできるだけ親切にしている。
「お人好し」と言われるときもあるけれど、満足や幸運を感じられる頻度は低くないので不満を感じていない。
小金持ちや貧乏人の場合
大金持ちの場合、「与えるより与えられる方が好きだし、前者より後者の方がお得!」と考え、ロクに何も差し出さなくとも問題ないかもしれないけれども、小金持ちなら、恐らく老人になる前に没落して、辛い日々を送るハメになる。
貧乏人の場合、多分、欲求不満を抱えた貧乏人のまま生涯を終える。求める行為に熱心なのに、大出世の機会は手に入らず、苦労が絶えない人生になる。与える行為に熱心な人物の生涯の逆を行くハメになる。
他人に要求してばかりの人を見ているとモヤモヤするので、あなたも自分の持ち時間などを出し惜しみしがちな人なら、ぜひ「求める物は少なく、与える物は多い人」になっていただきたい。
よろしくお願いします😊💖
【注記】
- 私の場合、この法則のおかげで海外に留学している間、日本にいる頃よりも良い生活ができた。当時は今以上に貧しいバカだったのに。日本でも得をした経験が結構ある。「与えると恵まれる」との法則は場所が日本であれ、海外であれ、働くようだ。 ↩︎