色々な本や記事に目を通し、知人との会話を思い出しているとき、ふいに思わされた。

誰もが簡単に「比較」をしている、と。

あなたもいつも色々な場面で気軽に、何かと何かを比べているのではないだろうか。

果たしてその行為は正しいのだろうか?

目次

比較の欠点

多くの人が気軽に自分を他人と比べたり、現状を過去の黄金時代と比較したりしている。自分の国を他国と比較している一般人、著名人は多い。

現在住んでいるシェアハウスを、実家と比較している人もいるようだ。

あなたも今、自分の住まいと他の部屋を比べているのでは?

比較は悪いコトではないけれど、比べたせいで落ち込んだり、怒りがわいたり、今の家を出ていきたくなったりする場合があるから、「問題ナシ!」というわけではない。

「比較」には、自分を落ち込ませる場合がある、という欠点があるのだ。

安易に比較すると、シェアハウスに入居中の場合・・・・

比較にはメリットとも長所とも呼べる点がたくさんある。

やり方さえ覚えれば簡単に行える、他者と自分の違いを明確にする、比較対象にした物の長所を明らかにする、がそうで、もちろん、これらは比較が持つ長所の一部に過ぎない。

ただし比較した本人を暗い気持ちにする場合がある、とのデメリットがあるために、安易に行って良いものではない

落ち込みやすい人の場合、比較を繰り返すと心身が病む

シェアハウスに入居中の場合、運が悪ければ早々に「こんなシェアハウス、さっさと出ていこう。◯◯駅の近くにある、あの物件に早く入りたい!」なんて思うハメになる。

自身の満足感を基準にしよう!

私は「比較は大事だけれども、自分が満足できているか否かは、もっと大事」と考えている。

自分が満足できていれば、たとえば他人には「住心地が悪そうな家」と思える物件に住んでいても、不幸を感じずにすむからだ。

一般人の目にはキラキラ輝いて見える物件に住んでいても、自分が満足できていない場合、住んでいる間中、不満は消えず、幸福感を味わえない1

住む家も着る物もお仕事も親しく付き合う人も、何もかも、他人が称賛する物やキラキラ光って見える人よりも、自分が満足できる物や「楽しい!」と感じられる人を選ぶ方が、往々にして本人のためになる。

要するに、あなたがシェアハウスを探している人の場合、「評判の良い物件を見て回るなんて無駄」とは言わないけれど、「自分が満足できる物件を探して、見つかったら内見を申し込もう!」と言いたい。

既にシェアハウスに住んでいる場合、もし今の物件に満足できているのなら、安易に他の物件と比較しないでおこう。それに安易に退去を決めてはならない。退去後、猛烈に後悔するはずだ

何事も、何物も、選ぶときは比較結果ではなく、自分自身の満足感を念頭に置いておこう2

【注記】

  1. そういえば豪邸に住んでいる荒廃した家庭の話は枚挙にいとまがない。息子が家庭内暴力に明け暮れている一家、亭主が浮気して滅多に帰宅しない家庭など。豪邸に住んでいる不幸な人達の苦労話は昔から存在する。 ↩︎
  2. 今、私が住んでいるシェアハウスはかなり居心地が良いし、快適度は、とても高額のシェアハウスにも負けないと感じている。
    だから軽い気持ちで退去していく人達を見ていると、「新天地ではさぞ苦労するんだろうな」と思えてならない。 ↩︎

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